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3月3日、東京新聞、作曲家、佐村河内(さむらごうち)守氏
【私説・論説室から】
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「障害者」という美談

2014年3月3日


 「現代のベートーベン」とたたえられた作曲家佐村河内守氏の騒動には考えさせられた。ゴーストライターが名乗り出たばかりか、聴覚障害者手帳を取得していながら三年ほど前から耳が聞こえていたようなのだ。
 詐欺罪に当たるとか、喧伝(けんでん)した音楽業界も、うそを見抜けなかったメディアも共犯だとかいった責任論が噴出した。もっともだ。
 しかし、真相はともあれ、作品群そのものの芸術的価値に変わりはあるまい。聴き手の憤怒や落胆の多くは、「全聾(ろう)の作曲家」という障害者物語のメッキがはがれ落ちたことから来るのだろう。興ざめさせられたのだ。
 芸術分野に限らず、障害者がハンディを乗り越えて才能を開花させた的な話題がもてはやされるのはなぜか。メディアが繰り返し強調する「努力と克服の美学」が、健常者の心の内奥に影を潜めている「悲運への哀れみ」を浄化してくれるからかもしれない。
 幼いころから障害者のみを引き離す教育の仕組みも罪深いと思う。健常者に「障害者は別世界の住人」という意識を植え付け、存在への関心を失わせてこなかったか。
 障害と健常の違いは曖昧だ。講演中にマイクが壊れれば、聴衆の耳は不自由になる。でも、手話通訳に頼る障害者は不自由しない。障害者ばかりが美化されがちなのは健常者本位の社会だからだ。双方が等しく暮らす社会なら安易な美談は生まれまい。 (大西隆)
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【 2014/03/03 09:58 】

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